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すねあどらむそろ 5


2012.01.18
@NEXT SUNDAY


最近、ヘッセを再読しています。
自分にとって大切な一文を見つけたので引用してみます。


『その小路はほとんど人通りがなかったので、私は教会のそばの縁石にこしかけ、オーバーのえりを立てて耳をすました。大きくはないが、いいオルガンだった。意力と粘りのある独特な極度に個性的な -- 祈りのように聞える表現を伴う、すばらしい演奏だった。その中でひいている人は、この音楽の中に一つの宝が秘められているのを知って、自分の生命を求めるようにこの宝を求め、そのためにオルガンをたたき努力しているのだ、というふうに、私には感じられた。私はテクニックという意味ではあまり音楽はわからないが、魂のこういう表現は子どものときから本能的に理解し、音楽的な要素を自己の内の自明な要素と感じていた。』

Hermann Hesse / Demian (1919)


ぼくはずっと、感情や情念の表現ではなく「装置としての音楽」がやりたいと思っていました。
聴く人も自分自身も、それによってトランスしたりトリップしたり出来る様な音楽(装置)を演奏することを望んでいました。

しかし、実際には、その様な音楽を演奏できるのはまれで、心身が非常に安定した状態を保っている時に限られていました。
そうでない時には、自分の内的な問題を表出するような演奏になってしまったことも多く、昨年2月には、意図的に自己セラピーを目指したライヴすらやっていました。


” snare drum solo ” を思いついた日のことはよく覚えています。
その日、ぼくはとてもよい瞑想を体験していました。
それは、つらく、苦しい状態の中から生まれ、装置としての理想を持ち始めました。

シンプルな形態が、自然に、自分を安定した状態に導いてくれる様にも感じています。